Special 対談 イケムラレイコ × 奈良美智

イメージに寄らず、素材の力を信じること

PIOON展の初日、イケムラレイコと奈良美智による夢の対談が実現した。1980年代以降、ドイツを制作の拠点とするイケムラと同じく、80年代後半にドイツへ渡り制作をしていた奈良。それぞれの眼に映った当時の美術シーン、お互いの作品や制作方法、アーティストとしての生き方について語った。

  • photo:Takehiro Goto
  • text:Madoka Hattori

遠回りをしてアートの世界へ

奈良美智 (以下N)
「僕はイケムラさんときちんとお話するのは今回が初めてなのですが、以前からずっと共通するところがあるなと感じていたんです」

イケムラレイコ (以下I)
「私も奈良さんの活躍をみていて、作品はもちろん、アーティストとしての生き方も近しいのではないかと思っていて、今回オープニングトークにお声がけさせていただきました」

N 「ありがとうございます。イケムラさんは僕の兄と同じ年齢でとても親近感があります。アーティストになる前のお話からお伺いしたいのですが、イケムラさんは高校を出て、普通大学に進学したんですよね?」

I 「そうですね。美術大学ではなく、大阪外国語大学に進学してスペイン語を専攻していました。いろいろな出会いが重なり、大学を中退してスペインへ留学することになったのです。当時アートを勉強するにはアメリカ、ドイツやフランスに行く人が多かったのですが、私はスペインへ行き語学を学ぶことからスタートしました。今考えれば遠回りをした気もしますが、奈良さんも少し違うところからスタートしたんですよね?」

N 「一般的に美術を勉強するにはパリやNYだったけれど、イケムラさんはスペインだったわけですよね。僕は愛知県の芸術大学で、東京からみるとやはり距離がありました。現代アートというジャンルに関しても情報があまりなく、先生たちも古い画家や近代の作家が好きという方ばかりでした。イケムラさんがスペインで勉強した頃は、どんな作家に興味を持っていたのですか?」

I 「当時のスペインはフランコの独裁体制が続いていて、政治的には大変な時代でした。でも私は生活を通じてことばを学びながら、芸術だけでなくすべてを吸収することで精一杯でした。ベラスケスやゴヤ、エル・グレコやムリーリョなど、素晴らしい絵をオリジナルでたくさん見ることができたんです。奈良さんと私が共通する点は、現代アートから入っていないところかしら」

N 「そうですね。現代作家というのは、例えばジャスパー・ジョーンズやリキテンシュタインとか両手でかぞえられるくらい。それよりも近代の画家のほうを驚くほど知っている。70年代は経済成長をしている時代だったので、古いものを壊して新しいものをどんどん生み出していました。街の景観もどんどん変わっていった。それが現代的なものであるとするなら、その前の時代から僕は美術に触れたんですね。その感覚を、イケムラさんにも感じたんです。アカデミズムが持つ作品の力強さがあった。今回の展覧会をみても同じように感じました。イケムラさんの絵画作品には、触感的なイメージがあります。絵画は平面的と思われますが、初期の作品をみるとディテールがとても立体的になっているんですよね。塑像はどこで学ばれたんですか?」

I 「スペインのアカデミーに入った時、本当は彫塑を選択したかったのですが、間違って絵画のクラスに入ってしまったんです(笑)」

N 「えーそうだったんですか。初期のドローイングは非常に塑像的な作品が多くて、その塑像的な感覚が、最近の作品にも現れている気がします。だから塑像を勉強してから、絵画に入ったのかと思っていました」

I 「違うんですよ。私は計画的にものごとをすすめられなくて(笑)、人生には思いがけないきっかけや偶然からはじまることが多いんです」

N 「僕がドイツに行った時は、イケムラさんはすでに活躍されていて。お見かけすることはあっても、遠い存在でした。だからこうやってお話できるようになって、僕もいっぱしの作家になったのだなと。嬉しいです。当時ドイツでは現代アートから絵画の復権、エモーショナルな絵画に再び注目が集まっていました。一見マッチョに思えるドイツ絵画の世界はどうでしたか?」

I 「非常に大変でしたね。80年代のドイツ絵画は荒々しいポスト表現主義の時代で男性の世界でしたから。大きさにしろ、描きかたにしろ、とにかくエゴの誇示でした。当時は、異邦人でしかも女性のアーティストが入る余地はなかった。でも自分にとって大事な道であれば、何の保護や援助なく、チャレンジしていくしかなかったんです。私は女性として自立すること、いわゆる結婚して夫に養ってもらうということではない人生を選択したいと幼い頃から言い続けていました。スペインでは経済的な自立をすることが難しく、スイスへ行き、そしてドイツへやってきたんです」

N 「奨学金を獲得したのですか?」

I 「いえ、奨学金なんて一切なかったわ(笑)。必死でアルバイトをして、長い下積み生活をしていました」

N 「僕もデュッセルドルフの寿司屋で皿洗いしていました(笑)。でもこういった苦労話をわからない人も多くなってきましたよね。またインターネットやパソコン、携帯電話が普及してバーチャルなものに囲まれていると、技術はあっても心がない作品が生まれてしまう。イメージはあってもその向こうにあるものが見えてこない。簡単に言うと薄っぺらいなと感じることが多いですね」

イメージよりも強固な素材の力

N 「イケムラさんはうさぎ年なんですよね?」

I 「ええ。今回の展覧会では主にうさぎというモチーフを扱っていますが、かわいいというイメージではなく、うさぎが象徴する神話的要素と飛躍をテーマにしています。中沢新一さんが書かれた『野ウサギの走り』という本があるのですが、その哲学的なうさぎに対する自由の思考が私のバックグラウンドになっていて。直線的な考えでなく方向をどんどんかえて行くバイタリティにひかれました。もちろんモチーフは大切ですが、彫刻や絵はモチーフから見るだけのものではないんです」

N 「絵は表層的なイメージから受ける力が大きいのですが、そこには見る側の人生経験によって、見えてくるものが異なります。幼稚園や小学生くらいの子どもが見たら、うさぎさんだかわいい〜となるかもしれませんが、経験を重ねた大人が見たらまた違った感想を持つ。自分自身もそういった変化があることが、この歳になってようやくわかってきました。歳を取るのもわるくないなって。でも過去の作品を見返すと、ちょっと恥ずかしくなったり(笑)。そういう経験はありますか?」

I 「ありますよ。でもどんなに恥ずかしくても、今の私と繋がっているんです。そして、当時は無意識にやっていたことが、今見るととてもクリアにわかる。また自己批判で否定していたものが、やはりそれなりの意義をもっていると後になって受け入れられたりすることもよくあります」

N 「当時は“やった!”と思っていたことが、今は恥ずかしくみえて、ダメだなと思っていた青臭いことのほうがが、その時の自分にしか生み出せないものだったりする。自分の進化に驚きますよね」

I 「若い頃は、自分の判断というのは絶対で、間違っていないという自信に満ちていますよね。例えば、私は藤田嗣治の大ファンなのですが、当時は藤田の生き方に対して斜に構えていました。彼はきれいな女性ばかり描いていて、私は絶対に違うものを描いてみせる!と息巻いていたんです(笑)。例えば少女を自己を通して、うちから描こうと努力していたのは、彼を意識していたからかも知れません。でも最近になって、彼の作品のマチエールの深さに改めて感動しました。きっと当時はモチーフで見てしまっていたんでしょうね」

N 「同じ絵を見ても、昔は見えなかったものが、どんどん見えるようになる。藤田の初期の作品をみると、技法や画法を模索していてあがいていたのだなと。バルテュスもそうですが、イメージのことばかりで、絵の具の質や本物を見なければわからない部分を評価する人があんまりいないんですよね。インターネットでイメージを見ることに慣れてしまうと、実際の絵にある、絵の具の重ね方やキャンバスの目などを見る力が欠如していきます。逆に、マテリアル自体が持つ力を活かせる作家も少なくなっている」

I 「特にバルテュスの場合、見る人はよく少女のエロティック性に集中するけど、どのように描かれたかという絵画ならでの評価はまだまだですよね。長いコンセプチュアル・アートの時代を経て、私たちのような絵画や塑像に向かう作品が必要とされる時代にきているのだと思います。現代アートというものは前時代を否定しながら進化してきたわけですが、しかしそこがモチベーションになってはいけない。もっともっと遠くから、深いところから、揺さぶるようなものを生み出す必要があるんです。とてつもなく辛い道ではありますけど」

N 「習ったものや読んだものだけではなく、自分の中から湧き上がってくるものが一番大切。理論を学んで技術を手に入れれば作家にはなれるのでしょうが、どうしてもなければいけない才能というのは、その人自身がどれだけ自分と会話して、自分の感受性を書物や学問に頼らずに、自然の中から、そして日々の暮らしから獲得していけるか。それがすべてですよね。僕がイケムラさんの作品を見るときは、イメージではなく、冷静に素材の持つ力を見るようにしています。例えば、紙のドローイングをみると、紙という素材に響きあうように線がひかれていることに気がつく。キャンバスの絵の具も、布とミックスされてひとつのオブジェになっているんです。特に焼き物の作品はわかりやすいですよね。土が持つ素材の力を上手くひきだす。心の中からでてくるものを、手を使って造形していく。その素材に対する感覚が、イケムラさんはとても優れているのかなと。素材と技術、そして心というか、霊感のようなものをどうやってバランスとっているのですか?」

I 「私が焼き物をはじめたのは80年代で、陶器は工芸であり現代アートには用いられる素材ではなかったんです。当時、ドイツでは誰も使っていなかったので、イケムラがまた変なことをやりだしたと見られていました(笑)。今では焼き物をつかう人も増えて、奈良さんも信楽で作品をつくっていらっしゃる。焼き物には、いわゆる素材としての力はもちろん、霊的なものが大きく作用していると思います。素材を越える力が、宿っていることに気付かされるんです」

N 「焼き物を素材として使う人はたくさんいると思いますが、具体的なイメージをのせて作品をつくる現代作家の筆頭はイケムラさんでしょうね。現れてくるイメージの関係性の親密さ。ドローイングや絵画でも同じですが、イメージの力を成立させているものが、目に見えているイメージではなく、見えていない本人の中にあるイメージと素材との関係。その見えないやりとりが、僕自身、制作を続けることで見えてくるようになりました」

アーティストとしての生き方

N 「イケムラさんは三重県で生まれて、海がそばにあったんですよね? 僕は山が身近で、海はちょっと遠い。前回の展覧会『うみのこ』や、海をテーマにした作品も多く、それは幼い頃から培ってきた、借り物ではない世界だと感じます」

I 「やはり私は海の子ですね。それに海は永久に流れて、名前がない。対馬の海も地中海の海も、どこかで繋がっています。山は動いても、ヨーロッパまでは行けないですよね」

N 「海は流動的で山は動かない。液体と固体の違いというか、海はちょっと怖さもあります」

I 「そうですね、海には惹かれるけれど怖い力も持ってます。その破壊力は霊というよりも、宇宙的なものでしょう。震災以降、原発と絡んで人災でもあり、国や政治的なことだけでなく、地球全体を考えるようになりました。そして過去から未来、次の世代へ何をどう伝えていくかということも大切ですね」

N 「イケムラさんは美大で先生もされていますが、最近の生徒たちはどうですか?」

I 「あまりにも成功や策略について考えている人が多い。とても残念なことです。スペインで勉強をしていた時には、ユートピア的な思想で、自分たちの理想の世界をどのように作り上げるかを考えていました。アート業界でどのように成功していくかを考えることは、本質的な制作とは程遠い。私は生徒の作品と真剣に対峙しながらも、生き方や制作への態度について話し合うことを大事にしてます。各々自分の道を探して進むことを励ましたい」

N 「どうしたら有名になれるのですか?と聞かれることもあるのですが、質問自体がショックだし、美術を勉強している人にそう思わせてしまう現状に僕自身も少なからず原因があるのかなと反省します。勉強というのは、見返りを求めずにやっていくことですよね。みんなショートカットしようとしていて、とても悲しくなります」

I 「美術だけでなく、人生についてもそうですよね。もっと信頼関係が必要です。かつては何かに反抗してものをつくるモチベーションになっていましたが、いまは複雑な時代になっていて、ただ挑発したり、効果をねらった策略だけでは本当の何かを生み出すことはできないでしょう」

N 「極端に言えば、芸術の世界で言えば何でもありですよね。自由な中で不自由なことをすることが大事になってきたのかなと。素材はシンプルにキャンバスと絵の具だけでやる。若い頃は関係ないと思っていたけど、アカデミズムは保守的なものではなく、自分の中心に添えることでどれだけそこから自由になれるかだと思うんです。イケムラさんとはそういった近代絵画の話ができるから僕はとても楽しいです」

I 「私たちは同じタイミングでドイツにいたけれど、会うことがなかった。でもこうして今会っている。私たちの関係は、これからがスタートですよね」

奈良美智

1959年青森県弘前市生まれ。1987年愛知県立芸術大学修士課程修了。1988年渡独し、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍。A.R.ペンクに師事し、マイスターシュウラー取得。1994年〜2000年ケルンにて制作活動。1998年カリフォルニア大学ロサンゼルス分校(UCLA)にて3カ月間の客員教授就任。2000年帰国、活動拠点を東京に移す。2005年より栃木県在住。 2000年以降の主な個展としては、2001年、国内初の公立館での個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館ほか全国5館を巡回。2003年、個展「NOTHING EVER HAPPENS」がクリーヴランド現代美術館ほか全米5館を巡回。2004年、個展「From the Depth of My Drawer」が原美術館ほか日韓5館を巡回。2006年、「Yoshitomo Nara + graf A to Z」を青森の吉井酒造煉瓦倉庫にて開催。同年、個展「Moonlight Serenade—月夜曲」を金沢21世紀美術館にて開催。2010年、個展「セラミック・ワークス」を東京の小山登美夫ギャラリーにて開催。2010年〜11年、個展「Nobody’s Fool」をニューヨークのアジア・ソサエティ・ミュージアムにて開催。2012年、個展「君や 僕に ちょっと似ている」が横浜美術館、青森県立美術館、熊本市現代美術館を巡回(2013年まで)。同年個展「青い森の ちいさな ちいさな おうち」十和田市現代美術館にて開催。

Share

Special : 7

モデルKIKIとめぐる「イケムラレイコ PIOON」

more information
movie : Takehiro Goto
hair&make : Rumi Hirose
interview : Madoka Hattori

Special : 1

イケムラレイコによる詩の朗読

ヨーロッパでの活動のなか、イケムラレイコはスペイン語、ドイツ語、英語など複数の言語を習得していきます。言語とは国や文化と切り離しがたいものであると同時に、作家自身の人間性とも深く関連をもつ対象であり、作品とともに詩や俳句など言葉を用いた表現がこれまで試みられてきました。 ここでは、《うさぎ観音》展示会場の壁面に使用されています「うさぎ短歌」の朗読がお聞きいただけます。