タイトルからして意表をついた。展覧会チラシの、うさぎの彫刻に添えられた言葉は「PIOON(音読は「ぴよ〜ん」?)」。文字色は鮮やかなピンク。これまでイケムラさんの作品に感じていた内省的なイメージから一転して、「随分はじけちゃってるな!」というのが最初の印象だった。
イケムラさんが近年発表してきた絵画や彫刻、ドローイングの作品には、しばしば所在なげに佇み、横たわる少女の像が現れていた。輪郭がぼやけ、はっきり誰とは知れない幽霊のような彼女達に対面すると、普段は蓋をしている内面の空間に突然投げ出されたような、孤独でよるべない気持ちにさせられたものだ。そして二年前、ある展覧会に出品された、朽ちゆく花を模した横たわる女性像は、東日本大震災の記憶と重なって、強烈に死の残酷さを感じさせた。そんなところでのPIOONである。何か心の飛躍があったのだろうか。
うさぎのデコレーションが施されたバスに揺られて美術館を訪れると、2006年の展覧会にも飾られていた、海や湖の絵が観客を迎えてくれた。水平線が強調され、荒い生地に鮮やかな色が染み込む抽象画は瞑想を誘う。海は故郷である三重県津市で見ていた原風景であり、母なるイメージに重なり合うと以前に聞いた。光をはらんだ水辺をくぐり抜けると、その先には無数のうさぎが……!
二本の耳をピンと立てた顔のない生き物や、建物と融合したうさぎなど、抽象化された不可思議なうさぎ達は、実は1990〜94年に制作された陶の塑像だった。イケムラさんは、新表現主義的な絵画やドローイングの制作を経て、90年代からテラコッタの作品を平行して手がけてきた。ちょうど絵にも動物や植物と一体化したような生命の原初の形が現れ始めた頃だ。うさぎは当時からたびたび登場するモチーフなのだ。
そして大広間に、「うさぎ観音」が待っていた。全長3.4メートルの大きな白い陶の彫像が二体。向かい合わせの一方は悲しみを湛えて涙を流し、もう一方は「大丈夫だよ」とでも言うように優しく微笑んでいる。二体は2011年の震災後から信楽で順次制作してきたものだという。無数の穴が開いたレースのスカートの切れ目を覗くと、まるで宇宙を内に抱いているようで、闇の中に引き込まれそうになる。凛として何かを見通す眼差しと、見る者の感情を包み込む圧倒的な存在感。イケムラさんの書いた「うさぎ俳句」や「うさぎ短歌」を読みながら、しばしうさぎ達の想いに想像をめぐらした。
「地球の美しさは山河大地日月星辰であり、うさぎたちはこれをまかなう巫女」ではないかとイケムラさんは言う。続く、やはり信楽で6回にわたり制作された陶を中心とする作品展示が、現代への警告をはらむその世界観を表すようで印象深かった。富士山や樹木と人の顔が一体化した塑像は、土と手が触れ合い、人為を越えた火の営みによって完成したものだ。自然と生き物は対立するのではなく、互いが交わりながら共存しているというメッセージ。横たわり、死に瀕した猫の彫像が、土に還り、輪廻転生していく肯定的な存在に見えてくる。山水画に触発された山並みの絵が穏やかな彼岸を思わせるからだろうか。
制作にまつわる逸話を知ると、イケムラさんが2011年の東日本大震災に際して抱いた想いが、「うさぎ観音」に託されていることがわかる。福島で耳のないうさぎが生まれたというニュースも制作の動機の一つだったという。具象と抽象を行き来する作風を特徴とするイケムラさんは、「うさぎ観音」がより具体的な形をしている点について尋ねられると、「(以前の作品より)もっと感情的だったり、祈りであってもいいんじゃないかと思った」と答えている。また、うさぎという存在は、ヨーロッパでは宗教的なシンボルであり、日本ではお伽噺的で人々と親密な生き物であって、耳のないうさぎと観音を結びつけることで、伝統に基づき、民話や情緒を含む違った生き物が生まれるのではないか、とも語っている。たとえば村上隆の「五百羅漢図」をはじめ、宗教美術を想起させる震災後につくられた現代アートの多くは、鎮魂や復興への強い祈りが動機にあるからこそ、多くの人の気持ちを束ねる求心的なシンボルになりえている。人の存在の不確かさに一対一で向き合わさせてきたイケムラさんが、作品をより象徴的で大きな器に昇華させたその変化と挑戦に、深く感銘を受けたのだった。
若くしてスペインに渡り、スイス、ドイツと移り住んだイケムラさんは、特定の文化や言語、様式を越えた、世界の根源にあるものとつねに向き合って、作品に表してきた。だからいつもスタンスは自由で、手と精神と素材がつながり、「ヘビが脱皮」するように変化し続けてきた。そんな彼女は今回、耳をアンテナにしたうさぎの跳躍力をバネにして、さらに多くの境界を飛び越え、世界をつなげようとしている。「PIOONプロジェクト」は、若手作家や地元の店舗の協力により、アートを通じて震災の復興に寄与するチャリティ企画だ。PIOONの8の字はユートピアを示している。うさぎがつなぐ無限の可能性が、瞑想の時間を行動の時間に変える。なんて前向きな展開だろう! もう、ごちゃごちゃ頭で考えるのはやめにして、自分も軽やかに飛躍してみようと思った。ぴよ~ん!
『美術手帖』編集部を経て、フリーランスの編集者、ライター。編集した書籍は『奈良美智 全作品集 1984-2010』(美術出版社)『工藤麻紀子 まわってる』(小山登美夫ギャラリー)『現代アートがわかる本』(洋泉社)など。
ヨーロッパでの活動のなか、イケムラレイコはスペイン語、ドイツ語、英語など複数の言語を習得していきます。言語とは国や文化と切り離しがたいものであると同時に、作家自身の人間性とも深く関連をもつ対象であり、作品とともに詩や俳句など言葉を用いた表現がこれまで試みられてきました。 ここでは、《うさぎ観音》展示会場の壁面に使用されています「うさぎ短歌」の朗読がお聞きいただけます。